自己紹介です。
基本情報
現在の属性とかスペックとか性能に関しての情報です。
- 種族:ヒト科のオス♂
- 属性:テレワーク歴17年の個人事業主(メディア運営、SEOライター、その他)
- 育成:福岡県北部
- 特技:話を聞くこと、地味な仕事
- 性格:ISTJ(ロジスティシャン)
- 長所:穏やかな草食系、強度なぼっち耐性、
- 苦手:集団への帰属、にぎやかな場所、パーソナルスペースが近い
- 全長:中背
- 重量:中肉
- 家族:妻と娘
- 備考:2021年より会社員も兼ねる(5,740日ぶり2度目の就職)
仕事の実績
ほんの一部をご紹介しています。
良かったら、ご覧下さいませ。
経歴・職歴
情報系の短大(かなり珍しい)を卒業して、住設メーカーにてサラリーマンデビューしました。
27歳のときに、経営を学びたく産業能率大学の3年次に社会人編入学して、経営情報学士となりました。
卒論は「バーチャル・ファクトリー」に関することです。(随分前なので忘れました・・・)
で、いろいろあって自己都合退職して、現在に至ります。
いろいろの部分は、これからお話しします。
ガラスの20代(会社員)
超大手の住宅設備会社の製造子会社に、事務・管理系として就職しました。
学生時代はプログラミングを専攻していたので、ファクトリーオートメーションをやりたいなあと漠然と思っていたのですが、配属はまさかの生産管理。
この時点で「あれ?」と違和感を感じましたね。
適材適所なんて言いながら、人員不足の部署に都合よくあてがわれただけでした。
渋々ながら業務を覚えるも、新入社員ながら、
- 月間の残業時間は100時間前後
- 土曜日出勤は当たり前(休日出勤)
- まともなOJTが確立されておらず担当で話が違う
- 先輩の指導は「押しつけ型」で創意工夫は認められない
- 中間管理職が不在だった(平社員と次長という歪な組織構造)
という、いわゆるブラックな環境にぶっこまれ、3ヶ月目には心身がおかしくなり、ノイローゼ気味になりました。
フォロー体制もまったく機能せず、所属長との面談中に割り込んできた、当時の人事部長の言葉が忘れられません。
「まだ3ヶ月だろ?これから30年は働くんだから大した事ないじゃないか」
メンタルヘルスの欠片も無い時代だったんですよね。
精神的に弱ってる若造に、追い打ちかけてどないすんねんって話ですよ、客観的に見ると。
誤魔化し誤魔化し仕事して5年が経過したときに、同部署内で配置転換され、少し安堵しましたが、労働環境は大きく変わる事はありませんでした。
ただし若干の心身の余裕がありましたので、ずっと心に引っかかっていた4年生大学への社会人編入学を目指します。
産業能率大学の経営情報学部3年次に編入することができて、2年間できっちりと単位を取得し、卒論も必死こいて提出したのを覚えています。
一応、最終学歴は大卒となりましたが、会社での待遇は一切変わることなく・・・。
ま、いいんですけどね、一切、期待はしていませんでしたから。
20代後半で悟ったことは「会社に自己実現の場所を求めたのが間違い」ということでした。
ちなみに、この時期に伴侶と出会っています。
激動の30代前半(会社員)
30才になった時に、真剣にキャリアについて考えました。
このまま会社に居座ることが果たして良いのかどうかを。
自問自答の結果はNOでした。
そんな時に人事異動がありまして、新部署に配属されました。
なんと営業系で、テクニカルセールスエンジニア的な感じです。
分譲マンションに納める水回り設備の設計と開発がメインで、代理店や最前線の営業所に対して技術的なフォローをしていくという仕事です。
仕事内容は面白かったんで、もう少し居座ろうかなと思ったのは確かです。
設計はCADを使うのですけど、ほぼ独学で、OJTは相変わらず機能していませんでした・・・。
かつて一世を風靡した「明るいナントカ」で有名だったメーカーも地方の製造子会社になると、そんなレベルなんですよ。
就活生や転職希望の皆さんが「ブランドや社名で判断されないよう」切に願っています。
ただ仕事自体は楽しかったのですよ。
分譲マンションの表と裏がモロにわかるので、後に受験した宅建士、当時は宅建主任者と呼ばれましたけど、その試験や2級FP技能士試験の不動産関連には、大いに役立ちましたね。
一度、本社に転籍の話があったのですが、立ち消えになりました。
どうしても欲しいと言ってくれた本社と、留まって欲しいと主張する直属の上司との間で折り合いがつかなかったんです。
本社に行く気マンマンでしたけど、当時の彼女(現:奥さん)のこともありまして少し悩みましたが、結果的に話が無くなって今があります。
いい環境で仕事もできてますからね。
さらにですね、人事評価のしくみがガラッと変わって、年功序列から能力主義の評価体制に変わったのです。
ポーズだけでしたけど。
まあ、いろいろ言いたいことはあるのですが、評価する者を選べないと「やってられない」状態になることを知りました。
別れの30半ば(会社を退職)
結婚した翌年の夏に退職の意思表示である、退職願を上司に手渡しました。
書き方は習いませんでしたから、書店で立ち読みしたりして、なんとか書きあげましたよ。
書き直しは10回ぐらいしましたかね。
何か緊張しちゃって。
その年の大晦日でサヨナラをしたかったのですけど、後任が見つからないという内部事情もあり、
- 本社推進の海外との連携プロジェクト
- 国内での開発設計センター構想
がスタートしていて、両方に関わっていたので、結局、1年半後の4月に退職できたんです。
退職が延びた理由
退職が延びたのは、国内の開発設計センター構想で、2つの地域エリアを統括するリーダーを本社から任されていたから。
所属している会社ではなく、本社からの直接の指令です。
理由は、私を買ってくれている本社の何名かが、
- 在籍している子会社での評価が低すぎる
- 蔑ろにしてる
- 価値がわかってない
とキレ散らかしてくれて、「こっち(本社)で○○(私の事)を使う!」と鶴の一声で引っ張り込んでくれたから。
子会社の管理職は、さすがに親会社の役職者ましてや部門のトップに何も言えず・・・。
認めてくれる人がいるというのは嬉しいもんですよ、しかも大きな後ろ盾ほど。
たまにコッチで会議があるときは、いつも、
- 「(私のこと)はようやってくれとるわー」
- 「助かるわ(私のこと)が頑張るから」
- 「しっかりやっとんのは(私のこと)だけやな」
と、それぞれが言ってくれるので、元の上司などは苦い顔を浮かべるばかりでした。
ただ、やはり退職願を出してから、モチベーションの維持が難しかったですね。
お陰で、ちょっと心身に異常をきたして、通院することにもなったんですけど、それは後で。
会社員時代は、正直、良かったのか悪かったのか、今でもわからないときがあります。
自分の能力が発揮できたのか、それとも、もっと伸ばせたのか、学びが足りなかったのか、コミュニケーションに落ち度があったのか、モヤモヤっとしたものは残ってます。
が、後悔の欠片もないので、退職は正解だったと信じています。
会社員時代の退職金
興味あるでしょ?
自己都合退職というデメリットが加味されまして、なんと、その金額、
実働14年で180万円。
どうです!!安いでしょー!!(ジャパネットたかた風)
ちなみに手取りは14万円とかでした、30才前半で。
空白の1年
35才になる年に退職し、新たな就職先を、ちょっとだけ探すことにしました。
はい、しっかりとハローワークに通いましたよ、失業保険(失業給付)を適用させて頂くためにも。
自己都合退職なので給付までの待期期間が3ヶ月ありまして、それ以降から支給だったんですが、失業給付の金額については何も不満はありませんでしたけど、ハローワークに通う事が面倒だなあと感じたのを覚えてます。
ハローワークで気付いたこと
ハローワークに通って知ったのは、驚くほど多くの求人があったことでした。
35才でも十分に雇ってくれる企業はゴロゴロあるやんと。
当時は「35才過ぎると転職は厳しい」「待遇が希望通りにならない」というのが常識で、今ほど活況ではなかったのです。
どちらかといえば転職者は、ネガティブな目で見られてたんですよね。
今のように転職サイトもなければ転職エージェントなんて言葉やしくみもなかったと思います。
で、ハローワークか友人知人の紹介でメインとなるのですよ、転職のアテは。
ご想像の通り、私は内向型でしたから(当時は気付いてなかったけど)、友人はいませんし、知人を頼ることもしませんでした。
パラパラと求人ファイルを流し読みしていくうちに、ふと、組織の一員として働くのは、ホントに自分らしい人生が歩めるのかと考えたんです。
チームワークを重んじて、足並み揃えてというのが出来ないわけではありませんが、ルールや慣習的ななことが多いと非常にストレスを感じてしまい、それらが気になって動けない性質なのです。
決断の30代後半(個人事業主として開業)
失業給付が満了するタイミングで再就職は諦めて、個人事業主として活動しようと決めました。
開業届を提出した日付は、2006年2月1日です。
退職の際に、ひとりで何かやるかもしれませんとは言いましたけど、完全にノープランでした。
インターネットには可能性を感じていましたし、使えないですけどプログラミングの経験もありましたから、ネットビジネスに食い扶持を見出せればいいなあと、漠然と考えていました。
自宅が事務所って最高の環境ですし、初期費用も抑えられますし、何より外出する機会が激減するので自分にとってはメリットばかり。
もともと自宅が大好きで、お酒の付き合いも苦手ですし、積極的に参加もしない、というか飲めないですから繁華街などにも用事がないのです。
個人事業主としてのスタートは夢のようでした。
以来、ずっとテレワークです。
目標やビジョン
- 法人化を狙っています(理想は3年以内)
- ネットを通じての人脈を広げたいと考えています
- 時代の流れを掴み続けたい(今は生成AI活用を実践中)
フリーランスや個人事業主が増えてきて、とてもうれしいのですが、まだまだ使われる側の立場となるケースが多いのが現実だと思います。
それはそれで必要とされるのですから全く構わないですけど、もう少し、SEOライターとして、
- 法人様の役に立ちたい
- フリーランス同士で協業したい
- 副業としての参入者をサポートしたい
- コンサルティングに力を入れたい
といったことは常に頭にあります。
これからのコンテンツ制作、つまり記事作成・SNSやブログ投稿などは、生成AIの活用がどんどん進みますから、そことも戦わなければなりません。
執筆スピードとか短納期、ましてや価格競争などでは、差別化ができなくなってきます。
そこでコンテンツ作成の原点に立ち換えて、
- 正確性
- 信頼性(根拠やデータありきの言及)
- 提案力
- 訴求力
- 利便性
- 経験
- スキルアップ
- ニーズへの柔軟な対応
といったことを踏まえて、有意義な情報を言語化しクライアントに貢献するのが、より求められていくものと考えています。
自己紹介 まとめ
以上、つたない自己紹介でした。